幼い頃の読書体験をきっかけに宇宙への興味を育み、天文学研究の道を目指したガリレオメディア社長の熊崎さん。現在はメディア事業だけでなく、教育事業やAIの技術支援など、多岐にわたる分野で活躍しています。そんな彼のキャリアの原点に迫りました。
少年時代の読書体験が導いた宇宙への興味
―― まず、宇宙に興味を持ったきっかけを教えていただけますか?
「興味を持ったタイミングははっきりとはおもいだせないのですが、小学生の頃から好きだった読書がきっかけだったと思います。図書館で面白そうな本を見つけては、次々と読んでいました。
特に覚えているのは、シートン動物記のオオカミ王ロボの話です。野生のオオカミの知恵と勇気、そして最後の運命に、何度も胸を打たれました」
―― 子供の頃から幅広いジャンルの本を読まれていたんですね。
「そうですね。江戸川乱歩シリーズや三国志や水滸伝も読みました。そして中でも特に好きだったのがSFでした。H・G・ウェルズの『タイムマシン』や『宇宙戦争』などを興奮しながら読んでいたのを思い出します。タイムマシンで未来や過去に行けるかもしれないとか、地球以外にも知的生命体がいるかもしれないとか。そういう想像を膨らませるのが本当に楽しかったんです」
―― SFを読むことで、科学への興味も深まっていったんですか?
「ええ。当時は科学と空想科学の区別はついておらず、今おもうとオカルトのようなものも大好きでした。『もしかしたら、本当にタイムマシンが作れて、過去や未来に行けるかもしれない』とか『宇宙人って本当にいるんじゃないの』って想像を膨らますのが好きでした。その『もしかしたら』を追求していくのが宇宙の研究だとおもっていて、今思うとそれがきっかけだったかもしれません」
プロ野球選手から天文学者へ ー変わりゆく夢

―― 小学生の頃は、将来の夢は宇宙に関係することだったんですか?
「実は、その頃はずっと野球をやっていて、プロ野球選手に憧れていました(笑)。こう見えてチームで4番を打っていて、休みの日は朝からずっと練習して、夏休みは甲子園を、夜はプロ野球をみるみたいな生活をしてました。でも、運動が好きだったかというとそんなこともなく、当時出たばかりのポケモンにも夢中になっていました。」
―― 天文学者になろうと決めたのは、いつ頃だったんですか?
「中学生になる頃でしたね。理科の教科書に宇宙の単元があって、その内容がとても面白く何度も読んでいました。特に印象に残っているのは、光の速さで進んでも抜け出せないブラックホールという天体があるらしいとか、隣の星ですら人間がたどり着けないくらい遠いとか。その時『こんな広い宇宙をもっと詳しく知りたい!』と強く思いました。中学校の理科室の天井に、発泡スチロールの球で太陽系の模型を作ったのを思い出します」
天文学への道を切り拓く ー大学選びと進学
―― 天文学者を目指すにあたって、大学選びはどのようにされたんですか?
「高校2年生の模試の前に、ちゃんと志望校を決めようとおもって進路指導室に向かったことを覚えています。当時はインターネットもあまり普及していなかったので、発行年がいつのかわからない大学案内を一冊一冊めくって『天文』『宇宙』という単語を探していました」
―― なかなか大変な作業だったんですね。
「そうなんです。なので、当時は天文学を学べる大学をちゃんと見つけられず、国立大学にしかないのかと絶望しました。東京大学と東北大学にあることは真っ先に見つけましたが、地元の名古屋大学にも地球惑星と名前のついた学科があることを知り目指すことにしました。実はその学科は、私が想像していたような研究はできない学科だということを高3のオープンキャンパスで知るのですが、理学部を目指すことには変わりありませんでした。早い段階で目標を決めたのがよかったのか、無事に名古屋大学に合格することができました」
予想外の大学生活 ー ゲームが切り開いた未来
―― 大学生活の現実はいかがでしたか?
「最初の1年は本当に大変でした。朝から夕方までびっしり授業が詰まっていて、しかも授業時間も長い。レポートはあまりなかったですが、テスト前に必死で勉強してテストを乗り切った覚えがあります。でも、その分野の第一人者の先生方の講義を直接聞けるのは、本当に贅沢な経験でした」
―― 2年生からは少し余裕が出てきたとか。
「そうなんです。専門科目が増えて、自分の興味のある授業を選べるようになりました。空いた時間で部活のメンバーとよくゲームをやっていました。当時はモンスターハンターにドハマリしていました。実は、そこで得た経験が後のキャリアにつながるとは思ってもみませんでしたね」
研究室での日々 ー 想像を超えた研究生活

―― 大学院での研究生活は、想像していたものと違いましたか?
「大学院での研究生活は、想像とは全然違いましたね。日々自分の研究を黙々とやるというわけではなく、勉強会やジャーナルクラブ(最新論文を紹介し合う集まり)が定期的に開催されていて、みんなで勉強しあうことが多かったです。自分の研究だけだと、どうしても狭い領域の知識だけになるので、こういう文化はありがたかったです」
―― 研究室の雰囲気はどうでしたか?
「本当にオープンで自由な雰囲気でしたね。勉強会も学生同士で自主的に始めて広がっていくことも多かったですし、夜遅くまで議論が続くこともありました。基本的にみんな互いの研究に興味があって、聞きあったり教え合うことに全く抵抗がない、そんなすばらしい環境でした」
―― 具体的にはどんな研究をされていたんですか?
「学士から修士にかけて、宇宙マイクロ波背景放射(CMB)の研究をしていました。これは、ビッグバンの名残とも言える宇宙最古の光なんですが、観測データと理論予測の間に小さな”ずれ”があって、その原因を探る研究でした。インフレーションのダイナミクスが原因なのか、もしくは地球にCMBの光が届く過程での影響なのか、いろんな影響を検証していくので最初の研究にしてはハードでしたが、幅広い知識を得られたので結果的に良かったと思います。
博士課程に進んでからは分野を変えて宇宙の磁場の研究を始めましたが、宇宙全体から銀河まで幅広いスケールの物理をひと通り学んだ修士時代の経験がかなり活きたと実感しています」

次回予告
科学への純粋な好奇心から始まった熊崎さんの研究者への道。それは、想像以上に多くの発見と驚きに満ちていました。
第2回「オランダ留学が変えた研究者人生 ー新たなキャリアへの転換」では、海外での研究経験がもたらした視野の広がりと、その後のキャリアチェンジについて詳しくお伝えします。お楽しみに。