舞台から星空へ ─ 名古屋大学大学院生が語る意外な天文学への道

夏の夜空に輝く流れ星、そしてプラネタリウムの星空。幼い頃の星との出会いが、一人の研究者の人生を大きく変えることになりました。現在、名古屋大学大学院で天の川銀河の研究に取り組む博士後期課程2年の松井さんに、天文学への道のりを伺いました。

舞台に夢を賭けた日々

──まず、天文学者を目指す前のお話を聞かせてください。

「私、子役としてミュージカルや演劇の舞台に立っていたんです。授業中も舞台のことばかり考えていて…」と笑います。

「高校時代、毎朝授業の前に読書の時間が設けられている高校だったのですが、本を読んでいると見せかけてこっそり机の中に台本を忍ばせていたんですよ。担任の先生には本当に申し訳なかったです(笑)。今思えば完全にアウトですよね」

勉強そっちのけで舞台に打ち込んでいた日々。しかし、高校2年生の秋、大きな転機が訪れます。

「本番1週間前の練習中に足を怪我してしまって。その前に出演した別の舞台で、尊敬する先輩が稽古中の大怪我を共演者にも隠し通して、本番の演技をやり遂げていたんです。だから私も『先輩みたいに隠せば大丈夫!』って…」

しかし、現実は甘くありませんでした。

「すぐにスタッフさんに異変を察知されてしまって。『無理は絶対ダメ』って。出番が変更になりスタッフさんにも共演者にも迷惑をかけてしまいました。先輩はできたのに、私にはできない。その悔しさと、プロとしてやっていく自信を失った挫折感で、すごく落ち込みました」

プラネタリウムとの運命的な再会

進路を見直すなか、ふと思い出したのが、小学生の頃に訪れた名古屋市科学館のプラネタリウムでした。

「当時はまだ旧館だったんです。内容は夕焼けが赤かったことくらいしか覚えていないんですけど、なぜかすごく感動したことだけは、はっきりと心に残っていて」

その後、高校生になって再び訪れた時の経験が、決定的な転機となります。

「新館になってからのある日の投影で、どこか懐かしい感覚に包まれたんです。解説の方の話し方や表現の仕方に、小学生の時に感動した記憶が重なって…。もしかしたら同じ方だったのかもしれません」

そこで思いついたのが、プラネタリウムの解説者という道でした。

「『もしかしたら、私のお芝居の経験も活かせるんじゃないか』って。人前で話すこと、感動を伝えること。それって舞台と通じるものがあるなって」

家族で見上げた夏の星空─原点となった思い出

転機は高校生の時だけではありませんでした。実は、もっと幼い頃に、既に星空との特別な出会いがあったのです。

──小学生の頃の思い出を教えていただけますか?

「小学1年生の夏、家族と愛知県の茶臼山に行ったんです。ペルセウス座流星群を見に行くって言われても、正直よく分かってなくて(笑)」

真夏とはいえ、標高1,000メートルを超える山の夜は冷え込みます。

「夏なのにすっごく寒くて。でも、家族みんなでレジャーシートに寝転がって、流れ星を探すのが楽しくて。『あ!流れた!』って、誰かが見つけるたびにみんなで『どこ?どこ?』って。そんな時間が本当に幸せでした」

その体験が忘れられず、毎年の恒例行事になったといいます。

「次の年からは、自分から『流れ星見に行きたい!』ってねだるようになって。家族サービスで毎年連れて行ってもらいました(笑)」

“普通の”星好き少女

ただし、いわゆる”天文キッズ”とは少し違ったと振り返ります。

「星座を探したり、天文の本を読んだりするのは大好きでしたけど、望遠鏡には全然興味がなくて。実は、家が裕福じゃないから買ってもらえないだろうなって思い込んでいたところもあって…だから『欲しい』とも言わなかったんです」

そんなエピソードが、高校時代に思わぬ形で露呈することに。

「クラスメイトから突然『赤道儀持ってる?』って聞かれて。私、キョトンとしながら『何それ?食べ物?』みたいな反応をしちゃって(笑)。相手の子がびっくりした顔で『え?星好きなのに赤道儀知らないの?』って」

思いがけない進路変更─名古屋大学から岡山理科大へ

「名古屋大学を目指したんですけど…高校2年の冬まで勉強してなかったので、当然ダメでしたね(苦笑)」

しかし、その挫折が新たな可能性を開くことになります。

「宇宙の道を諦めきれなくて、受験締切直前に必死でネット検索したんです。『宇宙』『天文』『大学』ってキーワードを入れまくって」

そして見つけたのが、岡山理科大学でした。後期試験の締切数日前という、まさに滑り込みセーフでの合格。ただ、大学生活は想像していたものとは少し違っていました。

「思ったより自由度が低いと感じましたね。大学に行けば自由に時間割を組めると聞いていたのに、実際は必修授業が週に1回しか開講されていないから、その時間に入れるしかない。

それに私は学芸員と教員(中高理科)の資格、どっちも取りたかったので。高校時代に憧れていた『空きコマ』なんてほとんど無かったです。」

置かれた場所で咲く─挫折を活かした決意

しかし、時が経つにつれ、その選択には思わぬメリットがあることに気づきます。

「後から知ったのですが、学芸員と教員の資格を同時に取れる大学って実は少なくて。名古屋大は学部で両方取ることはできないシステムなので、そこは岡山理科大を選んでよかったですね」

そして、ある言葉との出会いが、松井さんの心境を大きく変えることになります。

「学部1年生のときに誘われて参加した研究会で、壁に書いてあった『置かれた場所で咲きなさい』という言葉が目に映りました。それまでは『名古屋大学に行けなかった』って後ろ向きだったんです。」

その言葉は、新たな決意をもたらしました。

「でも、この言葉に触れて考え方が変わりました。『よし、ここで誰よりも頑張ろう。名古屋大の学生より充実した大学生活を送ってやる!』って」

夢とともに名古屋大学へ─原点回帰の決意

その後松井さんは猛勉強を重ね、名古屋大学大学院への合格を勝ち取ります。

「大学院とは大学の学部を卒業した後、より専門的な学びと実際の研究を行う教育機関のことです。
大学院に入るには学部とはまた別の試験に合格する必要があるので、大学を変えることも珍しくないんですよ。」

現在は大学院での研究の傍ら、初心を忘れず努力を続けています。

「プラネタリウムの解説者になるという夢は、今も変わっていません。そのために、天文学の研究者としての道も、精一杯頑張っています」


次回予告:天の川銀河の研究に挑戦する大学院生活の実際と、研究の醍醐味について詳しくお伺いします。

キャリアインタビュアー
今後のキャリアに悩む学生や、大学を目指している中高生に向けて、多様なキャリアの選択肢を紹介するインタビュー活動を行います。
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